Themed Programme - Livre d'Or

In the early 19th Century, Charlotte, Baroness Anselm de Rothschild, began collecting musical autographs in manuscript written by her friends or teachers. This extraordinary 'Livre d'Or' includes rare or original works by Chopin, Meyerbeer, Rossini, Mendelssohn and many others. Started in 1828 and passed down the female line through the generations, it includes over 50 composer's signatures with the last person to sign being Leonard Bernstein in 1965.

Music from the Livre d'Or of Charlotte de Rothschild

The use of musical autograph albums collected by important European families was a widespread phenomenon during the mid-19th century. One of the most famous albums was the 'Livre d'Or' of Charlotte de Rothschild. A member of the Rothschild banking family, the Baroness Charlotte de Rothschild (1807-1859) was an important patron of musicians; during the mid-19th century her house was visited by the most prominent composers of the time. When she welcomed her musical guests, she would invite them to write a short piece in her 'Livre d'Or'. The result was a book with autograph manuscripts by Mendelssohn, Halévy, Meyerbeer, Rubinstein, Chopin, Rossini, Bellini, and many others.

Today's programme explores some of the compositions contained in the 'Livre d'Or', many of which are transmitted in readings that differ significantly from those available in published edition. The 'Livre d'Or' was willed by Charlotte to her daughter Mathilde de Rothschild (1836-1924), a remarkable musician who studied with Chopin. Mathilde continued the tradition to have composers enter their autographs into the book. She was also an accomplished composer, and the programme starts with a selection of her songs.

The Programme

I. Vocal Pieces composed by the Baroness Mathilde [Willy] de Rothschild
"Schmerzvergessen"
"O wie beneid' ich deine Seele"
"My Lady Sleeps"
Romance, "Si vous n'avez rien à me dire"
Les papillons couleur de neige
Mathilde de Rothschild
(1832-1924)
II. Earlier piano pieces from the Livre d'Or
Notturno (1830) Henri Herz
(1803-1888)
Capriccio (1833) Jacob Rosenhain
(1813-1894)
"Moderato" (1829) Johann Baptist Cramer
(1771-1858)
Scherzo (1829) Felix Mendelssohn Bartholdy
(1809-1847)
III. Vocal pieces from the Livre d'Or by French composers
La chanson du mousse, "La mer est ma patrie" (1847) Félicien David
(1810-1876))
Romance "Adieu! vous que j'ai tant chérie," from Le Chalet (1834) (entered into the Livre d'or in 1845) Adolphe Adam
(1803-1856)
"O doux moment dont mon âme est ravie", from Lestocq ou l'esprit et l'amour (1834) Daniel François Esprit Auber
(1782-1871)
Canzonetta, "Domando a queste fronde" (1847) Fromental Halévy
(1799-1862)
I N T E R V A L
IV. Vocal pieces from the Livre d'Or to English and German texts
"The Rare Flower" (n.d.) Giacomo Meyerbeer
(1791-1864)
Hüte dich, "Nachtigall, hüte dich" (1869) Anton Rubinstein
(1829-1894)
Nachgefühl, "Wenn die Reben wieder blühen" (composed in 1819) (1834) Louis Spohr
(1784-1859)
Romanze, "Es blühte ein Blümchen" (published in 1838) (1848) Gaspare Spontini
(1774-1851)
V. Later piano pieces from the Livre d'Or
Mazourka (1852) Jacob Rosenhain
(1803-1888)
"Andantino" (1868) Franz Lachner
(1803-1890)
Mazurka (composed in 1836, published posthumously as Op. 67, No. 4) (1847) Fryderyk Chopin
(1810-1849)
VI. Vocal pieces from the Livre d'Or by Italian composers
"Mi lagnerò tacendo" (n.d.) Gioachino Rossini
(1792-1868)
"Dolente immagine di Fille mia" (composed in 1821) (n.d.) Vincenzo Bellini
(1801-1835)
"Già la notte s'avvicina" (1835) Michele Carafa
(1787-1872)
Ottava della Gerusalemme liberata di Torquato Tasso (Canto XVI, stanza 18), Canto d'Armida, "Ella dinanzi al petto" (n.d.) Luigi Cherubini
(1760-1842)
The year given in parentheses at the end of each item refers to the date of entry into the Livre d'Or.

マティルド・ド・ロスチャイルドの奏でる声

フランチェスコ・イッツォ (サウサンプトン大学)

19世紀の女性作曲家の生涯は実に複雑であった。男性優位のこの分野で地位を確立させることは容易なことではなく、プロフェッショナルとしての目標、世間体、そして家族生活を両立させることが必要であり、非常に難しいことであった。ほんのわずかな例ではあるが、クララ・シューマン、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド、そして エイミー・マーシー・ビーチ (「ビーチ夫人」としても知られていた)などは、音楽家としての野心を全うするために、大きな挑戦、難しい選択などに直面せざるを得なかった。つい最近まで、彼女達は学術的な文献においては十分に評価されていないか、全く無視されていたが、最近になってようやく女性作曲家が19世紀の音楽文化に貢献していたことが認識されてきた。まだまだ研究が必要であるが、上記の、そして他の女流音楽家の作品は、生やレコーディングの演奏である程度は頻繁に聞けるようになり、音楽史の教科書でも認知され、作品集、そして出版物にも収められるようになった。

マティルド・ド・ロスチャイルドの音楽を扱ったダブル・アルバムの出版は、19世紀の女流作曲家を再評価するさらに重要なステップを築くことになる。当時の音楽界の状況に詳しい人であれば、銀行家ロスチャイルド家の重要さをよくわかっているであろう。ロスチャイルド家の人々はジョアキーノ・ロッシーニ からフレデリック・ショパンまで、多くの重要な作曲家をサポートしていた。1849年に病弱のショパンが、死に瀕していた時でさえ、以前からその才能に感銘を受けていた「ロスチャイルド家の十代の少女」を指導したいと熱望していたことをご存知の方も多いであろう。その少女こそがまぎれもない、アンセルム・サロモンと シャーロット・ド・ロスチャイルドの次女、マティルドなのである。このアルバムはそのマティルドを称えるものである。

声楽の初期のレコーディングをよくご存知の方々は、アデリーナ・パッティ のSi vous n’avez rien a me dire(-ヴィクトル・ユーゴーの詩に付けられたチャーミングなromanceである-)のレコーディングから、マティルド・ド・ロスチャイルド の名前は聞き覚えがあるのではないかと思う(夫でもありいとこでもあるヴィルヘルム・カール・ド・ロスチャイルドの名前から“ウィリー・ド・ロスチャイルド男爵夫人”とも呼ばれていた)。しかし、マティルドが、その長い生涯の間に、たくさんの歌曲、ピアノ曲、それにいくらかの管弦楽曲をも入れて、膨大な数の曲を創作していたことをご存知の方は少ないであろう。その多くは出版されず自筆譜がそのままで私有されている。しかし、マティルド の歌は、1860年代にはある程度頻繁に出版され、20世紀初期にはヨーロッパの多くの有名な音楽出版社が、少なくとも数曲を単独で、また出版社によっては相当の数の曲集にして出版していたのである。例として、1887年には、マインツのB. Schott社が “Zwölf Lieder fur eine Singstimme mit Pianofortebegleitung”というタイトルのもとに12曲のコレクションを出版した。前述した romance は紛れもない人気曲となり、ヨーロッパ中の、そしてアメリカ合衆国の出版社で幾度も版を重ねた。最初のアメリカ版は1866年にSchirmer社によってニューヨークでリリースされ、サンフランシスコのM.Grey社、そしてボストンの Oliver Ditson社がすぐに後を追った。

マティルド・ド・ロスチャイルドは、19世紀の初期及び中期の最も著名な作曲家達と縁のある家で育った。母親のシャーロットは音楽に深い情熱を持つ熟練したピアニストであり、優れた音楽家たちをゲストに招いては、livre d’or(黄金の本)という作品アルバムに自筆で小品を書きいれるよう勧めた。このアルバムから、ショパンの他に、彼女の家には、フェリックス・メンデルスゾーン、アンリ・エルツ、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ、ルイジ・ケルビーニ、ルイ・シュポーア、ジャコモ・マイアベーア、 フロマンタル・アレヴィなど、そして マティルドの幼少・青春期にはアドルフ・アダン、フェリシアン・ダヴィッドなどが訪れていたことがわかる。したがって、マティルド がどのような正式な音楽教育を受けていたかはあまり知られていないものの、「あのロスチャイルド家の少女」が多様な音楽家に接していたことは明らかであり、その影響は彼女の作曲に顕著に表れている。

このアルバムに収められている曲から、マティルドの基本的な特徴は素晴らしい多面性にあることがわかる。マズルカやその他のピアノ・ソロの曲の中ではショパンの影響を明瞭に聞き取ることができる(ショパンへの敬意を表しているのかもしれない)。しかし、フランス語を歌詞に用いた歌の多くからは、当時のパリジアン・オペラやサロン音楽の、ダンスのリズムや、誘惑的な旋律の傾向、感傷主義に馴染んでいたことがうかがえる。実際、いたるところワルツのリズムに満ちている(最も典型的な例がDanziam)。Charmeuse の陽気な名人芸風の曲は、パリジアン・オペラのステージの音を彷彿させるものだ。また、その他の曲の、有節歌曲形式、単純な旋律、そして控えめな伴奏は(La voix qui dit je t’aime にみられるように)19世紀初期・中期のromanceの慣習を反映しているようだ。しかし、マティルド が残したフランス語の歌の多くは、これら当時の慣習・しきたりといった枠を越え、形式的により柔軟なアプローチを用い、また、詩の意味する内容を細やかに表現する手法をとっている。注目すべき例はAppelle-moi ton ameである。この作品では、最初のメロディーが反復される直前に、感情を込めた朗誦風の短い一節が、聴衆の注目を “Mais quel nom employer?”の言葉に集中させている。もう一つの例は、Les papillons である。この作品では、拍子の軽快さ(12/8及び 6/8)、右手のパートの戯れるような音型、そして高く舞い上がるボーカル・ラインが一体となり、羽ばたく蝶を想像させる。これらの曲だけでなく他の曲においてもマティルドの和声の技法は非常に洗練されており、本質的には全音階的な進行でありながら、しばしば上品な半音階になったり、エンハーモニックで変容したり、隔たった調性へ思いがけなく移行したりする。したがって、マティルドは確立された慣習・伝統をよく理解しているのみならず、19世紀後半のフランス歌曲(mélodie)の傾向をも十分に把握している作曲家であることが伺える。

マティルドのフランス語の歌が、彼女が19世紀半ばのパリの文化的環境に影響を受け、また関与していたことを示すものならば、数多く作られた、ドイツの詩をもとにした歌は、夫とともに居を構えていたフランクフルトでの生活が影響している証である。実際に、バイリンガルであったことがマティルドの創造力における重要な要素であった。特に19世紀の前半から半ばにおいて、オペラの作曲家が一つ以上の言葉(例えばイタリア語とフランス語)をマスターすることは珍しくはなかったが、ドイツ語とフランス語を自由に操っていた彼女の語学力は実に注目に値するものであった。(マティルドは英語も流暢であり、英語の歌を作曲していたことも知っておくべきである)。彼女のドイツ語の歌からは、マティルドがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンから、彼女とほぼ同時代を生きたヨハネス・ブラームスにいたるまで、ドイツ歌曲(Lied)のレパートリーに関して音楽的に深い知識と理解を有していたことがわかる。例えば、ロベルト・ライニックの歌詞による歌曲では、冒頭の数小節に、ベートーヴェンの 連作歌曲集「遥かなる恋人に」の最初に出てくる旋律の影響が聞き取れる。Schmerzvergessenの凝縮された表現が、本質的にはシューベルト的であると感じるリスナーも多いであろう。そして、O wie beneid’ich deine Seeleの力強い旋律による感情表現、和声の進行経路(A-flat Majorから E Major)や三部形式は、ロベルト・シューマンの名高いWidmungに比較できるものである。後者の作曲家と同様に、マティルドのドイツ語の歌のほとんどが、それらの簡潔さ、詩歌の率直かつ情熱的な歌いぶりにおいて優れている。Ein Herz in mir! は長さがちょうど一分間であり、このアルバムの中では最も短い歌であるが、この典型である。

マティルドの作品に共通する要素は、ピアノの書法である。ソロのピアノ曲や歌曲の伴奏からは、彼女がピアノの鍵盤をいかに熟知していたかが窺い知れる。左手で広く拡がるアルペジオ、凝った音型、オクターブで奏でられる旋律、そして豊かなテクスチャー。これらはすべて、19世紀半ばのピアノ曲の主要な傾向にならったマティルドの表現方法なのである。歌曲においては、歌をただ和声的に補完するにとどまらず、伴奏に表現力豊かな役目を割り当てて、短い前奏部分(Weine nichtで見られるように)や、特徴的な音型(Les Papillons 又は Le Rossignolで見られるように)、特殊なリズムや和声の工夫によって、全体的な雰囲気を醸し出したり、詩の中の特定のイメージや特徴的瞬間を強調したりしている。

マティルドが二つの言語から詩を選択するにあたって、当時の文学と詩に対する彼女の幅広い知識が反映されていることは驚くにあたらない。テオフィル・ゴーティエ、ヴィクトル・ユーゴー、ハインリッヒ・ハイネ、ヴィルヘルム・ミュラー、フリードリヒ・リュッケルトらの著作 は、彼女の本棚に並んだ重要な書籍のうちのごく一部であったに違いない。そして、彼女が言葉の意味に細心の注意を払っていたことは、マティルドが彼らの詩作に曲を付ける際のアプローチの仕方からも明らかである。マティルドの歌の多くは明るく、表面的には陽気である。経済的になんの心配もなく、ヨーロッパで名声と影響力を誇る一族の特権に浴すマティルドには、偽りのない切望の心、悲哀、心痛などの表現を生み出すことはできないのではないかと思ってしまうが、Glaube mir nicht 、あるいは押し殺した哀しみが表現されているWiene nicht、辛い苦しみを発している Vous avez beau faireを聞きさえすれば、彼女が人間の感情について奥深く機微に満ちた洞察をしていたことがわかる。

マティルド・ド・ロスチャイルドの音楽作品を形容する言葉は「変化に富んだ」「折衷的」「国際的」など、数多く思い浮かぶ。それらのどれにも限定されることなく、このアルバムに収められた作品からはっきりわかるのは、マティルドが、一個の特有な声で音楽を奏でることを追求するのではなく、むしろ多数の「声」を持つことを楽しんでいたことだ。その一つひとつの「声」が彼女の素性、経験、音楽の知識、嗜好といった様々な側面を語りかけているのである。そしてそれらの「声」の集約から、マティルドの長い生涯、教養、熱意、心の広さが、いかに比類のないものであったかがわかる。このレコーディングを通してマティルドの音楽にアクセスが可能になったことは、文化的な面で実に重要なことであると共に、聴く人々に大きな喜びをもたらすであろう。

2013年2月

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